2017-03-09 第193回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第3号
ですので、私のおやじは克雄という名前なんですけれども、島田克雄じゃなくて停車場の克雄というふうに言われていました。今、まさにその停車場という雰囲気は残念ながらなくなってしまいましたけれども、非常にきれいな駅をつくっていただきまして、仙台までも直通になりましたし、六年前に比べると、震災直後に比べると、本当に震災復興が進んでいるなと実感するところでございます。
ですので、私のおやじは克雄という名前なんですけれども、島田克雄じゃなくて停車場の克雄というふうに言われていました。今、まさにその停車場という雰囲気は残念ながらなくなってしまいましたけれども、非常にきれいな駅をつくっていただきまして、仙台までも直通になりましたし、六年前に比べると、震災直後に比べると、本当に震災復興が進んでいるなと実感するところでございます。
親の克雄と和子を捜しています。」と入れたら、ちょうど月曜日の朝方になって、いとこから、「佳和、二人は生きているから大丈夫だよ、安心して。」という書き込みがやっとあって、三日間ほとんど寝ずにテレビにかじりついていたんですけれども、三日目にしてやっと安心して眠れたという記憶をしております。
例えば福沢克雄さん。この方は、皆さん多分御存じだと思います、あの「半沢直樹」というドラマをつくったTBSのディレクターの方で、あとは映画で「私は貝になりたい」というような、そういうドラマというか映画をつくられた方です。こういった方の頭というのが私は必要なんじゃないかなと。 もう一人お話しさせていただきますと、立花陽三氏。
この調査特別委員会には四国電力の立地部長岡川健治、当時の立地部次長菊地明、立地部次長谷本光信、当時副長でありました小野山隆之、職員の宮地正隆、小倉克雄、これらの人物が証人として議会に出席いたしておりまして、それぞれ証言をいたしておりますが、驚くべきことには、この百万円の金は徳島県阿南市火力発電所の三号機、四号機の増設のため、地元対策費として百万円が必要となり、この対策費の領収証がとれぬため他の勘定科目